百人一首は100人が作った和歌なの?

 

そうだよ。100人が作った和歌を、一首ずつ選んだものなんだ。

鎌倉時代の歌人、藤原定家が選んだといわれる「小倉百人一首」が有名だよ。

 

(くもんなぜなぜカレンダー2020/01/09より)

 

 

 

もうちょっと深堀してみよう。

 

 

百人一首とは

 

読んで字の通り、百人が一首ずつ詠んだ和歌をまとめた歌集。

いわゆる傑作選みたいなもん。今風に言えばアンソロジー。

一般的に「百人一首」といえば「小倉百人一首」を指すが、時代が下ると派生して作られた百人一首も出現してくる。

とはいえそもそもが百人一首といえば小倉百人一首のことなので、あくまでのちの時代のものは小倉百人一首に影響を受けたオマージュやインスパイアというニュアンスで解釈してよかろうと思う。

それらは「異種百人一首」と呼ばれる。

 

→異種百人一首
変わり百人一首などとも呼ばれる。武人限定選、女人限定選などさまざまなものがある。
選集の選集みたいなものや、かるた遊びに使われるようになってから(後述)はテーマに沿ってかなり多くの種類のものが作られるようになったようだ。

 

小倉百人一首

授業で習う小倉百人一首は和歌集であるとともにかるた遊びでもあると認識している人が多かろう。

歌集としては1300年ごろの鎌倉時代、藤原定家によって編まれたとされている。

 

宇都宮頼綱という御家人から「別荘の襖のデザインとして飾るために天智天皇から順徳天皇までの約550年間に出た100人の歌人の和歌を1つずつ選んでほしい」という依頼を受けたのがそのきっかけ。

「襖に和歌を飾る」というセンスが現代に生きる我々にはちょっとわかりにくいが、たとえて言えばみつをの言葉を額に入れて飾る感じだろうか。

 

この百首を選んだとされる場所、あるいは飾られた場所が京都の嵯峨小倉山荘だったことから「小倉百人一首」と呼ばれるようになったようだ。

 

百人一首がかるた遊びに

 

百人一首がかるたとして遊ばれるようになったのは案外遅く、江戸時代になってから。

かるた遊び自体はもっと古くから存在しており、平安時代の貝を使った貝覆いという遊びがそのルーツと呼べそうだ。

戦国時代ごろにポルトガルから渡ってきた「南蛮かるた」が旧来の遊戯と結びついて、現在の形に発展していったと考えられる。

 

→南蛮かるた
原型が確認できるものは残っていないが、それをもとにして国産化したとされるのが「天正かるた」。南蛮貿易を通じて伝えられたものを模倣して、図柄も和風のものに差し替えられてゆき、徐々に変化していった。
ポルトガル語の「CARTA」がかるたの語源である。

 

小倉百人一首一覧

1. 秋の田の 刈穂の庵の苫をあらみ わが衣手は露に濡れつつ  天智天皇

2. 春過ぎて夏来にけらし白妙の 衣ほすてふ天の香具山  持統天皇

3. あしびきの山鳥の尾のしだり尾の ながながし夜をひとりかも寝む  柿本人麻呂

4. 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ  山部赤人

5. 奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋は悲しき  猿丸太夫

6. かささぎの渡せる橋に置く霜の 白きを見れば夜ぞ更けにける  中納言家持

7. 天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも  阿部仲麻呂

8. わが庵は都のたつみしかぞ住む 世を宇治山と人はいふなり  喜撰法師

9. 花の色はうつりにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに  小野小町

10. これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関  蝉丸

11. わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよあまの釣舟  参議篁

12. 天つ風雲のかよひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ  僧正遍昭

13. つくばねの峰より落つるみなの川 恋ぞ積りて淵となりぬる  陽成院

14. 陸奥の忍ぶもぢずり誰ゆゑに 乱れそめにしわれならなくに  河原左大臣

15. 君がため春の野に出でて若菜摘む わが衣手に雪は降りつつ  光孝天皇

16. 立ち別れいなばの山の峰に生ふる まつとし聞かば今帰り来む  中納言行平

17. ちはやぶる神代も聞かず竜田川 からくれなゐに水くくるとは  在原業平朝臣

18. 住の江の岸による波よるさへや 夢の通ひ路人目よくらむ 藤原敏行朝臣

19. 難波潟短き葦のふしの間も あはでこの世を過ぐしてよとや  伊勢

20. わびぬれば今はた同じ難波なる みをつくしてもあはむとぞ思ふ  元良親王

21. いま来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ちいでつるかな  素性法師

22. 吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐と言ふらむ  文屋康秀

23. 月見れば千々にものこそ悲しけれ わが身ひとつの秋にはあらねど  大江千里

24. このたびはぬさも取りあへず手向山 紅葉のにしき神のまにまに  菅家

25. 名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られで来るよしもがな  三条右大臣

26. 小倉山峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ  貞信公

27. みかの原わきて流るる泉川 いつ見きとてか恋しかるらむ  中納言兼輔

28. 山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれぬと思へば  源宗干朝臣

29. こころあてに折らばや折らむ初霜の 置きまどはせる白菊の花  凡河内躬恒

30. 有明のつれなく見えし別れより 暁ばかりうきものはなし  壬生忠岑

31. 朝ぼらけ有明の月と見るまでに 吉野の里に降れる白雪  坂上是則

32. 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬ紅葉なりけり  春道列樹

33. ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ  紀友則

34. 誰をかも知る人にせむ高砂の 松も昔の友ならなくに  藤原興風

35. 人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける  紀貫之

36. 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを 雲のいづこに月宿るらむ  清原深養父

37. 白露に風の吹きしく秋の野は つらぬきとめぬ玉ぞ散りける  文屋朝康

38. 忘らるる身をば思はずちかひてし 人の命の惜しくもあるかな  右近

39. 浅茅生の小野の篠原忍ぶれど あまりてなどか人の恋しき  参議等

40. しのぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで  平兼盛

41. 恋すてふわが名はまだき立ちにけり 人知れずこそ思ひそめしか  壬生忠見

42. 契りきなかたみに袖をしぼりつつ 末の松山波越さじとは  清原元輔

43. あひ見ての後の心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり  中納言敦忠

44. あふことの絶えてしなくばなかなかに 人をも身をも恨みざらまし  中納言朝忠

45. あはれとも言ふべき人は思ほえで 身のいたづらになりぬべきかな  謙徳公

46. 由良のとを渡る舟人かぢを絶え 行方も知らぬ恋の道かな  曾禰好忠

47. 八重むぐら茂れる宿の寂しきに 人こそ見えね秋は来にけり  恵慶法師

48. 風をいたみ岩打つ波のおのれのみ くだけてものを思ふ頃かな  源重之

49. みかきもり衛士のたく火の夜は燃え 昼は消えつつものをこそ思へ  大中臣能宣朝臣

50. 君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな  藤原義孝

51. かくとだにえやはいぶきのさしも草 さしも知らじなもゆる思ひを  藤原実方朝臣

52. 明けぬれば暮るるものとは知りながら なほ恨めしき朝ぼらけかな  藤原道信朝臣

53. 嘆きつつひとり寝る夜の明くるまは いかに久しきものとかは知る  右大将道綱母

54. 忘れじの行く末まではかたければ 今日を限りの命ともがな  儀同三司母

55. 滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ  大納言公任

56. あらざらむこの世のほかの思ひ出に 今ひとたびのあふこともがな  和泉式部

57. めぐりあひて見しやそれともわかぬまに 雲隠れにし夜半の月かな  紫式部

58. 有馬山ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする  大弐三位

59. やすらはで寝なましものをさ夜ふけて かたぶくまでの月を見しかな  赤染衛門

60. 大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立  小式部内侍

61. いにしへの奈良の都の八重桜 今日九重ににほひぬるかな  伊勢大輔

62. 夜をこめて鳥のそらねははかるとも よに逢坂の関は許さじ  清少納言

63. 今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで言ふよしもがな  左京大夫道雅

64. 朝ぼらけ宇治の川霧絶え絶えに あらはれわたる瀬々の網代木  中納言定頼

65. 恨みわびほさぬ袖だにあるものを 恋にくちなむ名こそ惜しけれ  相模

66. もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし  大僧正行尊

67. 春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそ惜しけれ  周防内侍

68. 心にもあらでうき世にながらへば 恋しかるべき夜はの月かな  三条院

69. 嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり  能因法師

70. さびしさに宿を立ちいでてながむれば いづこも同じ秋の夕暮れ  良暹法師

71. 夕されば門田の稲葉おとづれて あしのまろ屋に秋風ぞ吹く  大納言経信

72. 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖の濡れもこそすれ  祐子内親王家紀伊

73. 高砂の尾上の桜咲きにけり 外山の霞立たずもあらなむ  権中納言匡房

74. 憂かりける人を初瀬の山おろし 激しかれとは祈らぬものを  源俊頼朝臣

75. 契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり  藤原基俊

76. わたの原漕ぎいでて見れば久方の 雲ゐにまがふ沖つ白波  法性寺入道前関白太政大臣

77. 瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ  崇徳院

78. 淡路島かよふ千鳥の鳴く声に 幾夜寝覚めぬ須磨の関守  源兼昌

79. 秋風にたなびく雲の絶え間より もれいづる月の影のさやけさ  左京大夫顕輔

80. 長からむ心も知らず黒髪の 乱れて今朝はものをこそ思へ  待賢門院堀川

81. ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる  後徳大寺左大臣

82. 思ひわびさても命はあるものを 憂き涙なりけり  道因法師

83. 世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる  皇太后宮大夫俊成

84. ながらへばまたこの頃やしのばれむ 憂しと見し世ぞ今は恋しき  藤原清輔朝臣

85. 夜もすがらもの思ふ頃は明けやらで 閨のひまさへつれなかりけり  俊恵法師

86. 歎けとて月やはものを思はする かこち顔なるわか涙かな  西行法師

87. 村雨の露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕暮  寂蓮法師

88. 難波江の葦のかり寝のひとよゆゑ 身をつくしてや恋ひわたるべき  皇嘉門院別当

89. 玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば 忍ぶることの弱りもぞする  式子内親王

90. 見せばやな雄島のあまの袖だにも 濡れにぞ濡れし色は変らず  殷富門院大輔

91. きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣片敷きひとりかも寝む  後京極

92. わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾くまもなし  二条院讃岐

93. 世の中は常にもがもな渚漕ぐ あまの小舟の綱手かなしも  鎌倉右大臣

94. み吉野の山の秋風さ夜ふけて ふるさと寒く衣打つなり  参議雅経

95. おほけなくうき世の民におほふかな わが立つそまに墨染の袖  前大僧正慈円

96. 花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり  入道前太政大臣

97. 来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ  権中納言定家

98. 風そよぐならの小川の夕暮は みそぎぞ夏のしるしなりける  従二位家隆

99. 人も惜し人も恨めしあぢきなく 世を思ふゆゑにもの思ふ身は  後鳥羽院

100.百敷や古き軒端の忍ぶにも なほあまりある昔なりけり  順徳院