あるんだよ。
江戸時代の中ごろに幕府は何度か禁止令を出したんだ。
熱中しすぎて通行をさまたげたり、大名行列のじゃまをしたりしたからなんだ。
(くもんなぜなぜカレンダー2020/01/06より)
もうちょっと深堀してみよう。
流行りすぎて禁止令
江戸時代初期、庶民の間で凧あげが大流行していた。
娯楽の少ない時代ゆえなのかあまりに流行りすぎ、子供も大人も熱中。
どれだけ高く揚がったかを競うようになり、そのせいで喧嘩も多発したそうな。
→喧嘩凧
凧のあげ糸を相手の凧の糸に絡ませ、切り合う遊び。 切られた方が負け。
伝統的な合戦形式のものとして長崎のハタ、浜松の大凧合戦、田原凧まつり、内子いかざき大凧合戦などがある。
上述のころに多発した喧嘩は凧の喧嘩ではなく実際の喧嘩の話。
凧の喧嘩はのちに発展して競技化していく。
何を妨げたの?
熱中した人々はところかまわず凧をあげまくり、落ちる凧は場所を選ばない。
家屋に落ちて屋根を壊したり、人に落ちてケガ人が出たりもした。
直接の原因となったのは参勤交代のための大名行列のようで、馬や武具に凧の糸がからまって通行を妨げる事態が多発。
大名からの苦情が相次いで幕府が打った対策が「凧あげ禁止令」だったわけだ。
→大名行列
各地の大名が公用のために随員を引き連れて外出する際に取る行列。参勤交代における江戸と領地との往来が典型的な形態。
「下にぃー、下にぃー」と前触れながら歩くアレ。「下に」とは土下座せよの意。
→参勤交代
各地に散らばる諸大名を一定期間江戸に住まわせる制度。
基本一年おきに領地と江戸を行き来せねばならず、そうすることで経済的な疲弊や領地との結びつきを薄くするなどし、各地の大名が叛心を抱けないようにすることが主目的だったのではないかと言われてきたが、最近では「幕府の当初の目的としては」単に主従を意識するための儀式的な制度で、あくまで結果としてそうなったのではないか、とも言われるようになっている。
イカ→タコ
さてその凧だが、もともとはイカだった。
当時の凧はタコではなくイカと呼ばれていた。上述の禁止令は正しくは「いかのぼり禁止令」。
この禁止令をすり抜けようと江戸の連中は知恵を絞って
「これはイカじゃなくてタコだ。イカはあげちゃまずいけど、タコならかまわねえだろ」
と変わらず凧あげに熱中したのだとか。
そうしてイカあげがタコあげと呼びならわされ、それが定着したそうな。
そうした経緯もあり、いまでも凧をイカと呼ぶ地域は複数点在している。
もちろん全国的に凧は凧だが、いかのぼりという名称で通じるそうだ。
おもに江戸より西の地域がほとんどだが、長崎まで行くと今度はハタと呼ばれるようになる。
→ハタ
長崎のハタ揚げは、他のハタと掛け合って相手のハタの糸を切るいわゆる喧嘩凧。
鎖国中に唯一国交があったオランダから伝わったもののようで、オランダ国旗と同じカラーリングでデザインされたものが多い。
そもそもなんでイカ?
もともとは空を飛ぶ生き物「紙鳶」
凧は古代中国で誕生したらしい。
おもに軍事目的として合戦場で、風力や風向きを調べたり、距離を測るために使われていたとされる。
当初の凧は鳥型で、紙の鳶(とび)。
紙鳶「しえん」と書いて、今でもタコやいかのぼりと読ませる。
ほかにも昆虫など空を飛ぶものをモチーフとしていた。
また龍や鳳凰など伝説上の生き物型のものもあったそうな。
足があるから…
それが日本でなぜイカになったのか、というと、バランスを取るためにヒラヒラの足をつけた姿がイカに似ているところから来たのだとか。
なるほどスルメイカの姿が連想できなくもない、かも?
空を飛ぶものだったのにイカ→タコ(今ここ)って、たしかに足はついてるけども、もはや何がなんだかわからない。
言葉の変遷って本当に面白い。